一人だけど一人じゃない?書庫版

そこはもう無いけれど、私はそこに居たから。

きっと私達だけではないこの乖離感

こんばんは、魔羽です。
今回はIFさん向け・・・でしょうか?w
オチが迷子になってしまいましたが、悪しからず。



トランスジェンダーという言葉をご存知でしょうか。

ネットでこの言葉を調べると、
偶に”性同一性障害の事である”といった間違った記載も見かけます。


もちろんその方々も含むのですが、
この言葉はもう少し広く、
”身体の性別に違和感を感じる人”の事を指します。


以前ちらっと筆が滑ってここに書いてしまった通り、
私達の保持者であるRの
心の性別
(本来の性別、と言い換えてもいいでしょう)
は中性です。


つまり、Rがインターセクシャルでない限りRはトランスジェンダーに当てはまりまる事になり、
Rはインターセクシャルではありません。


インターセクシャルだからその人は中性、という訳ではありませんよ。身体の性と心の性、性愛の対象はそれぞれ別のお話です。


ここでふと考えたのが、
「私達の身体の性はどこを基準に考えるのだろう」
という事です。


IFさんの中には、

頭の中に身体を持つ方
保持者も見えないけれど容姿がある方
タルパのように保持者だけに分かる身体を外に持つ方
頭の中にも身体を持たない方

など様々です。

私とコーヤは 頭の中に身体を持つ方 に当たりますね。


この場合、
私とコーヤにとってRの持つ身体は着ぐるみのような物で、自分の身体という認識は左程ありません。
(もしかしたらRにとってもそうなのかも・・・。)


ここで私達の身体として基準にするべきはどちらでしょう?

なんて、これ答えのない問いだって明白なんですけどねw



Rの身体の性別をここで明かす事は出来ませんが、
私とコーヤのどちらかはRと交代した際には中々の苦労を伴います(--;)



だけど、もし私が身体を持って生まれていて、その身体が男性だったら・・・

そう思うと、IFは保持者次第である程度身体や容姿に融通が利くので幸せですね(*^_^*)

身体があっても無くても、幸も不幸もあるようで。