一人だけど一人じゃない?書庫版

そこはもう無いけれど、私はそこに居たから。

正解はいつも一つではない

こんばんは、魔羽です。
今回は「イマジナリーフレンド」という言葉についてです。



私以前このブログで、


タルパなる物はその人の外側へ創られていく物だと思うのですが、対してIFは内側から生まれて内側のみで完結する存在だと思うんです。


とかなんとか偉そうに言っちゃてるんですが、つまり私の中での「IF(イマジナリーフレンド)」って言葉はこういうイメージだったんです。



ですがこの間、「IF」という言葉の認識がRと私とで異なる事を発見しまして!



ここで一旦説明なのですが、Rには私とコーヤ以外にもたくさんの「Rではない存在」がいます。

Rの中ではこれらに分類があるようで、細かい話は省きますが、
「内側から生まれて外側にいる存在」や
「外側にのみいる存在」など、
私からすると、「それって“タルパ”とは違うの?」と思うような存在も多くいるんです。



そしてRは、それら全てを総称して「IF」と呼んでいるそうです。


すり合わせをしなかったので自然な事かもしれませんが、この言葉の認識の違いにびっくりしました。



どうしてこんな差異が起きるかと言いますと、この言葉を知ったのがそれなりに最近だからなんです。

それまでずっと、Rは私達の事(ここではRの言う「IF」全て)を「当たり前にいるもの」として名称すら気にしていなかったので。



ところで、この記事を書いていてふと、「Rはどうしてタルパって言葉を使わないんだろう」と思ったので、訊いてみました。

R「詳しい訳じゃないけど、あれって丹念に想像を練り上げて訓練して作り上げるものでしょ? 確かに俺が作った奴もいるけど、そんな訓練とかしてないし、別物かなって。」

なるほど・・・でもそれって、結構すごい事なんじゃ・・・? それとも、Rが何気無く作ったものはタルパとは似て非なる別物なのかな?



目に見えず、触れられず、聞こえないものの話はやはり難しいですねw
その私が言うのも難ですがww



よかったら、「自分はその言葉についてこう思う!」などコメントいただけると嬉しいです(*^_^*)

答えを探したいのではなく、ただ色んな人の考えが聞きたいです。




ここまで読んでくださり、ありがとうございました!